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2023年6月16日 (金)

早稲田 大隈庭園

2023年6月某日

早稲田大学大隈講堂に隣接する

大隈庭園を散歩

 

 

園内は真ん中が芝生の広場で

その周囲は池などの他に

中国や韓国のものらしい像や鐘が

ところどころに配置されていた。

どうして?と思って

帰って調べて理由がわかった。

 

それぞれ早稲田創立100周年や125周年等で

寄贈されたらしい。

 

 

 

Dscn0031_20230614185101

これは台湾から。

 

 

 

以下 それぞれ早稲田ウイークリー より

 

もともと早稲田大学はアジア、特に中国との関係が深く、

その歴史は100年以上前にさかのぼり、

1899(明治32)年に清国人留学生を受け入れています。

現在では3,000人ほどの中国人学生が学んでおり、

外国人学生の中では最も多い人数となっています。

 

 

そういう事かぁ。

奥には古い日本家屋もあった。

 

 

 

Dscn0036_20230614190001

完之荘(かんしそう)

 

1952(昭和27)年に校友で実業家の

小倉房蔵氏(1908年商科卒)から寄贈された建物。

名称は氏の雅号「完之」にちなんだもの

飛騨の山村に残っていた推定600~700年前の古屋を

小倉氏が自身の邸内に移築し愛用していた。

 

 

 

庭園について

 

大隈庭園は天保年間(1830~44年)にこの地が

彦根藩井伊家・高松藩松平家の下屋敷であったときに

作庭された「池泉回遊式庭園」で、

「近江八景」を築庭・造庭のモチーフとした

大名庭園であったと言われています。

 

明治維新後に転々と所有者が代わりましたが、

1874(明治7)年に大隈重信が購入し別邸としました。

 

さらに1882(明治15)年には別邸に隣接する土地を

東京専門学校(現、早稲田大学)開設のために入手。

 

当時、大隈重信は現在の九段下付近、

雉子橋(きじばし)に本邸を構えており、

西洋館と洋風造りの庭園を有していましたが、

1884(明治17)年に早稲田の別邸に移転し、

そこを本邸としました。

 

1922(大正11)年の大隈重信の没後、

庭園は邸宅と共に大学に寄贈・公開され、

東京の新名所となりましたが、

1945(昭和20)年5月の空襲で庭園は廃虚と化しました。

 

しかし、多くの人々の努力により、

ほぼ昔の景観通りに復元され、今日に至っています。

 

 

 

Dscn0029_20230614185001

 

 

 

 

そしてかわいいなと思っただけで

通り過ぎてしまった旧大隈邸門衛所

 

大隈庭園入口近くのカフェ前に建つ旧大隈邸門衛所は、

1902(明治35)年に完成した早稲田大学で一番古い建物です。

木造1階建ての簡素な造りですが、

1945(昭和20)年の空襲で全焼した邸宅唯一の現存遺構で、

当時の門衛所がそのまま残されています。

 


(同ウエブより)

 

 

そうなんだ。

そんなに貴重な建物だったとは。

もっとしっかり見ておけばよかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

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