早稲田 大隈庭園
2023年6月某日
早稲田大学大隈講堂に隣接する
大隈庭園を散歩
園内は真ん中が芝生の広場で
その周囲は池などの他に
中国や韓国のものらしい像や鐘が
ところどころに配置されていた。
どうして?と思って
帰って調べて理由がわかった。
それぞれ早稲田創立100周年や125周年等で
寄贈されたらしい。
これは台湾から。
以下 それぞれ早稲田ウイークリー より
もともと早稲田大学はアジア、特に中国との関係が深く、
その歴史は100年以上前にさかのぼり、
1899(明治32)年に清国人留学生を受け入れています。
現在では3,000人ほどの中国人学生が学んでおり、
外国人学生の中では最も多い人数となっています。
そういう事かぁ。
奥には古い日本家屋もあった。
完之荘(かんしそう)
1952(昭和27)年に校友で実業家の
小倉房蔵氏(1908年商科卒)から寄贈された建物。
名称は氏の雅号「完之」にちなんだもの
飛騨の山村に残っていた推定600~700年前の古屋を
小倉氏が自身の邸内に移築し愛用していた。
庭園について
大隈庭園は天保年間(1830~44年)にこの地が
彦根藩井伊家・高松藩松平家の下屋敷であったときに
作庭された「池泉回遊式庭園」で、
「近江八景」を築庭・造庭のモチーフとした
大名庭園であったと言われています。
明治維新後に転々と所有者が代わりましたが、
1874(明治7)年に大隈重信が購入し別邸としました。
さらに1882(明治15)年には別邸に隣接する土地を
東京専門学校(現、早稲田大学)開設のために入手。
当時、大隈重信は現在の九段下付近、
雉子橋(きじばし)に本邸を構えており、
西洋館と洋風造りの庭園を有していましたが、
1884(明治17)年に早稲田の別邸に移転し、
そこを本邸としました。
1922(大正11)年の大隈重信の没後、
庭園は邸宅と共に大学に寄贈・公開され、
東京の新名所となりましたが、
1945(昭和20)年5月の空襲で庭園は廃虚と化しました。
しかし、多くの人々の努力により、
ほぼ昔の景観通りに復元され、今日に至っています。
そしてかわいいなと思っただけで
通り過ぎてしまった旧大隈邸門衛所
大隈庭園入口近くのカフェ前に建つ旧大隈邸門衛所は、
1902(明治35)年に完成した早稲田大学で一番古い建物です。
木造1階建ての簡素な造りですが、
1945(昭和20)年の空襲で全焼した邸宅唯一の現存遺構で、
当時の門衛所がそのまま残されています。
(同ウエブより)
そうなんだ。
そんなに貴重な建物だったとは。
もっとしっかり見ておけばよかった。
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